はがき伝道 356号  「非力」

はがき伝道  平成30年6月 356号 真福寺

 

「非力の菩薩、人を救わんとして溺れる」

 

山口師の言葉が心にとまった。

日大アメフット選手の悪質タックルが世間を騒がせている。

米・北朝会談が実現するかしないかという今、

この文章を書いている。

 

山口師が70年代当時、

禅の師匠に入門して間もなくのとき、

師匠から諭された言葉が

「非力の菩薩、人を救わんとして溺れる」でした。

 

山口師は、世界平和はいかにしたら実現できるか

教えてほしいと言うと、

師は「まずお経を覚えろ」と言われたそうです。

しばらくして、また同じことを師に

「世界平和はいかにしたら・・・」と問うたそうです。

すると師は室内に山口師を呼び、

上記の言葉を言ったそうです。

つべこべいわず、

まず「お経を覚えろ」。

寺の作務を専一に

一生懸命することが大事と言ったのです。

 

「目前心後」という世阿弥の言葉がある。

目前に起こることに

心を囚われて

自分の心を磨くことを忘れたら

何もかも実現できない。

心はいつも明鏡止水の心境で

客観的に観察しないといけない。

他人を客観的に見ることは出来ても、

なかなか自分を客観的に見ることは

できないものである。

 

少し言葉を換えれば

社会批判は出来るが、

自己の実力を磨いていく努力は

できないものである。

そのことを師は山口師に

目前の禅寺の作法である

「お経を覚え、作務に心を集中しなさい」と言ったのです。

 

世間のことを気にするような時ではない。

力を持たない自己の現実の

今の非力な自分の姿をしっかり認識して、

精進しなさいと諭されたのでした。

 

70年代は安保、ベ平連、沖縄返還、

成田空港反対、連合赤軍、

安田講堂事件、三島由紀夫割腹事件、

学生運動等々の真っ只中の時代に、

山口氏は禅の世界で生きる道を選んだのでした。

 

 
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はがき伝道 355号   思いやり

 

はがき伝道  平成30年5月355号 真福寺

 

「おもいやり」と「おもてなし」

 

菅淳一氏は

『平成24年3月11日

東日本大震災が勃発したときの

被災地での惨状下においてもなお、

他を思いやる

日本人の心根の優しさに

世界のメディアも世界の人々も驚愕した。

そして、アメリカの司令官は

あの惨状の中でも忘れない

日本人の他を思いやる心根の優しさについて、

日本人は日々どんな訓練をしているのかと

問うたのである。

日本人が当たり前にしていることが、

世界ではそうではなかった。

「ものづくり」や「おもてなし」だけでない、

国民一人ひとりが持つ

「おもいやり」の心があることを世界は知った。

日本の国が千年に及ぶ歳月をかけて

育んできた「禅」の心が

ここに今宿っていることを

知ったのである』。と語った。

 

禅の心の一千年の伝統は

縄文文化一万年の基盤の上に

生まれた文化である。

一万年の精神文化から生まれた

優しい真心の「おもいやり」。

共存共栄の他者への優しさの精神の上に

一千年の禅文化があると思うのである。

 

先史時代より今に至る

日本文化の中で、

昭和20年の他国に敗北した経験以外に、

他民族に日本国土が支配されていない

一万年以上の歴史を持つ国家なのである。

 

そのことが精神文化の基礎に

「おもいやり」「やさしさ」「おもてなし」

という優しい風土を生んだのだと思っている。

世界でも希有な国。それが日本と言える。

 

御先祖様の絆の「おかげ」で今私はここにいる。

となり近所の人の助け合いで

今の私は無事生活し、

生きている。

「ありがたい」ご縁に「ありがとう」である。

 

しかし、「おかげさま」と「ありがとう」の心が

戦後70年経過し、忘れられ始めている時代が今である。

 

 

 

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はがき伝道 354号  「窮変、変通」

はがき伝道 平成30年4月354号 真福寺

 

「窮変、変通」「窮すれば変じ、変ずれば通ず」

 

困ることが発想の原点である。

『困らない人からアイデアは出ない。

困るからアイデアが出る。

困ってしまえば何でもやる。

決まった仕事だけやっていたら、

困ることはない。

自分から窮することを求めることが大事。

「窮すれば通ずる」という

自然の法則以上に、

私はその中に飛び込んでいって、

自分で苦しんじゃっている。

それを解決した時のうれしさというものは、

人にはわからない。

何物にもかえがたい喜びがそこにある』。

本田宗一郎談より

 

窮することを他から待つのでは

他動的外発的なものになる。

自動的自発的に窮する困ることを

探求することが大事である。

苦労を避けたベンチャーは失敗する。

 

頭だけで考えた

ベンチャービジネスは失敗する。

100万年の歴史をもつ新皮質の発想と

本能より起こる

古脳から生まれた発想は

基本が違う。

 

本能より起こる35億年蓄積した

宇宙の智恵の経験が詰まっている

古脳から生まれた発想は

体全体で考えるから成功する。

 

自分で本当の好奇心を持って

ぶつかっていって、

しかも苦労をいとわず、

論理に逆らわない筋道を

一生懸命突き進んでいくことが

成功の道となる。

 

活機応変に徹した人、

人生は機の連続である。

人間はどこか一つの心に

穴が空くと、

道を外れてしまう。

「思い」

「気持ち」

の持ちようで、

いくらでも

成功へ導く道程へ

変化させられるのである。

 

 

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はがき伝道 353号   お題

はがき伝道 平成30年3月 353号 真福寺

 

「仏様から頂いたお題を解く人生」

村本さん(村本厚子氏)は、

「仏様に論文を書かされたのだよ!」と

大阿闍梨酒井師は言った。(読売H.30.2.12)

 

誰もすべての人に与えられた

ミッション使命がある。

そして「人生の役割」を誰でももっている。

生きてここにいる理由がある。

存在価値がある。

生きているお題は各人それぞれ違う。

その人にあったお題が

ミッションとして天から降ってくる。

 

縁を活かし、

絆を活かして、

生かされている。

命を活かす使命を全うする人生でありたい。

最高の答えは

自分の今いるこの目前にある。

 

心を後において

只今即今をみることである。

私にあたえられた命のカレンダーを

大事にしなければ

せっかく生まれた大事な命も

無駄な一生を終えることになる。

 

宇宙のリズムに合わせ、

天体の運行に即して決めるだけでなく

「自然を活かして生きる」考え方も大事である。

宇宙のエネルギーを集めるのではなく、

すでに眼前にあるエネルギー、

眼前のパワーをいかに活かすか。

 

人にはそれが許されていることに

気づくべきである。

宇宙エネルギーのかたまりが

目前にあることに気づき、

活かす生き方をすべきである。

目前にあるすべてのエネルギー、

パワーを活かして、

活かされている自分を大切にする

生き方を見つけることが大事である。

 

よい言葉をかければ、

よい木霊が返ってくる。

「思い」や「気持ち」の持ちようで、

いくらでも物事を変化させられる。

誰でも仏様から

お題を頂いていることを

謙虚に受用することです。

 

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はがき伝道 352号   お墓

はがき伝道 平成30年 2月 352号  真福寺

 

私の先祖が眠る浄域、

それが「お墓」です。

今の私たちにつながる命が眠ります。

だから「お墓参り」をして、

命を伝えてきた方々に

香華を手向けるのです。

 

死は理不尽です。

時と場所を選びません。

今までは他人のことだと思っていた

死の現実が

いざ目前に迫ったとき、

人は不安の中で

恐れ嘆き泣き叫びます。

自分の心を納得させ

安心させるものは、

御先祖様が眠るもとの世界に

帰って行くという考え方を

信じていくことだと思います。

 

「私は自由に大空を駆け巡り、

貴方が墓前で手を合わせた時には

「必ずそこにいます」という存在」を

信じたいのです。

 

お墓の前で亡き人に語りかけた時、

きっとその人は語り返してくれます。

それは微かな風の揺らぎであり、

小鳥の歌声であるかも知れません。

要はあなたがその声を捉える

「心の耳」を持っていることだと思う。

 

父母を思う心や、

四人の祖父母を慕う心、

八人の曾祖父に手を合わせる心は、

「いつも一緒」にいる安心だと思うのです。

嬉しい時に手を合わせると

「良かったね」と共に喜んでくれる。

悲しい時に手を合わせると

「頑張ってね」と励ましてくれる。

どんなに離れていても、

どこにいても

「いつも一緒」にいるのが

「へそのう」でつながっている

御先祖様なのです。

私の命は

御先祖様の命の絆を背負った命なのです。

 

お墓に手を合わせることは

自分の命に手を合わせることです。

お墓の前で手を合わせる

その姿の中に

今ここに命有る事の

難しさと尊さを感じているのです。

 

先祖供養の心とは、

亡き人を忘れない追慕の心と、

命を伝えてこられた方々の思いに感謝し、

この命の尊さに気づく心なのです。

 

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はがき伝道  351号  石門心学

はがき伝道 平成30年1月351号 真福寺

 

平成30年新春です。

平成2年より

はがき伝道なるものを

書き続けて、

30年の月日を数えた。

母の死別が起縁となり、

妻の死別、友人や恩人を送別する30年でした。

 

昨年奈良県清水先生より

私の郷里、上野原に

心学者石田梅岩先生の

石門心学塾があることを知り

驚くばかりでした。

 

吉田松陰が

妹千代子あてに野山獄より

「仏法信仰はよき事なれど、

仏法に迷わぬように、

心学本など

おりおり御見候えかし。

心学本に

“のどかさよ ねがいなき身の 神もうで”、

神へ願うよりは、

身に行うがよろしく候」

と手紙を出している。

『先哲、石田梅岩の世界』より引用

 

日々書き続けたことが、

良き縁をつむぐ結果を

生んだのだと思うとき、

ほのかな幸せを感じます。

世阿弥は「眼前心後」をもって

「見離見」の実践を唱えている。

 

二宮尊徳は「まことの道は天地不書の

経文を読みて知るべし」と語り、

即今只今の現実の中に

生きる道筋はあると説く。

 

森信三先生は

「人間は一生のうち

逢うべき人には

必ず逢える。

しかも一瞬早すぎず、

一瞬遅すぎない時に。

しかし、内に求める心なくば、

眼前にその人有りといえども

縁は生ぜず」

と鋭く実地の大切さを説く。

 

眼前の事象にふりまわされることは

“群盲象を撫でる”が如きことであり、

一つ一つの事実は

本当であっても

全体を理解する

心後の眼力を養わなければ

自己崩壊をおこすのである。

本質を見ずして

枝葉をみることに執着して

一生を終わることは、

自己存在を粗末にすることだと

悟るべきである。

 

新春のことほぎを

未来の祝福につなげるために

一言添えさせて頂きました。

 

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はがき伝道  350号 「塵却記」

はがき伝道 平成29年12月 350号 真福寺

和算「塵却記」

 

江戸時代初期 吉田光由著作の「塵却記」が

江戸時代を通して算数を楽しむ

和算ブームを牽引した書物である。

 

「塵却記」という本の誕生は

多色刷り活版印刷の技術の発明により

版の重ねあわせによるズレを解消した

優れた書物として普及する。

 

イラストを豊富に使った見た目の良さと、

内容の凄さで

江戸時代を通して

庶民に愛読された。

 

「塵却記」の印刷技術は

後の浮世絵誕生の元となる。

そして、浮世絵は渡欧して

画匠ゴッホの絵画に影響したのである。

 

和算ブームを生む

きっかけとなった「塵却記」は

日本人の数学的センスを

世界的にも高度な水準に引き上げた

優れたものだったのである。

 

「塵却記」の内容を少し覗いてみると、

そこにはピタゴラスの定理、

平方根、立方根、

かけ算九九、割り算九九、

数の呼び方「一十百千万億兆京・・・・・・」と

基本中の基本の共通概念を、

日本人全体の知識として教育している。

 

天文、地理、測量、度量衡の計算、

ソロバン、生活に必要な計算から、

商人、職人、大工、土木、等々に必要な知識まで

網羅した教科書であった。

 

日本人共通の文字が読めることが

ベースになって

「塵却記」が読めるのである。

 

日本の津々浦々に

江戸幕府から告知の立札(看板)が立つと、

庶民はその文字を読み、

理解して、行動していた。

 

江戸市中にまかれる瓦版(今の新聞)も

読み手が文字を読めなければ

何にもならないのである。

 

江戸時代の和算ブーム、

武士から農民まで

それぞれ立場で寺子屋という塾が

林立していたことが

教育水準を世界的にまれな

高水準に引き上げていたのである。

 

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はがき伝道 349号   閃き

はがき伝道 平成29年11月 349号 真福寺

 

『言志四録』著者佐藤一斎は、

師を選ぶコツを言っている。

大上は天を師とし、

その次は人を師とし、

その次は経を師とす、

と言っている。

もっとも優れた人は、

人や本からではなく、

天から直接学ぶというのだ。

しからば、何をもって天から学ぶのか?

それは閃きである。

最上の閃きによって

心を感得するのだろう。

 

どういう人が天の啓示に

触れられるのだろうか?

それは

「美しい心をもち、

夢を抱き、

懸命に誰にも負けない努力を

重ねている人に、

天はあたかも

行く先を照らす

松明を与えるかのように

『智恵の蔵』から

一筋の光明を与えてくれる」という。

 

稲盛和夫氏は

「来る日も、来る日も

顕微鏡をのぞいていたら、

顕微鏡の向こうに

宇宙が見えた」と話している。

 

天啓にふれるために

必要なことは、

他にもある。

たとえば、

大正11年(1922)に来日した

アインシュタインの

寄稿文に見ることができる。

「日本人が本来もっていた、

個人に必要な

謙虚さと、

質素さ、

日本人の純粋で静かな心、

それらのすべてを

純粋に保って、

忘れずにいてほしい」

と語って帰国していた。

 

江戸時代の算数の教科書の中に、

建部賢弘は

「算数の心に

従うときは泰し、

従わざるときは苦しむ」と言い、

算数の真理の心を

算数の調和の調べに

共鳴する心を追求する

算数道思想を語っている。

 

二宮翁夜話には、

「本を読んでも、

それを実行しないのは、

鍬を買っても

耕さないのと同じだ。

畑を耕さないのなら、

何で鍬を買う必要があろう。

ただ本を読むだけで

行わないのなら、

本を読むことはない」

と言っていることを、

鳩山町元町長、

宮崎得一氏は

『致知』の中で語っている。

 

日本人の

学問研究の追求のみごとさは、

学と行が一致していることにあると思う。

天啓に気づくための

努力の積み重ねが

閃きを招来し、

行につながる智恵を

生むのである。

 

失敗を成功に導くために、

失敗に学び、

新しい行動を起こす。

新しい行動から

さらに失敗が生まれ、

その失敗を土台にして又、

新しい発想を学び行動する。

その積み重ねていく精神が

伝承継承されてきたのが

日本文化のすごみといえる。

 

縄文時代だけで1万年の

精神文化の蓄積がある。

この1万年の時間の間に

他民族に占領されたり、

隷属されたり、

攻撃や侵略の

憂き目を見ずに

縄文人は智恵を

1万年の間磨き続けた

希有な民族といえる。

 

そのことを

アインシュタインは訪日したとき

寄稿文に残したのである。

天の恵みを受け取るためには

過去の文化の声を

静かに肯定受用する

素直な心を

磨くことも大事である。

 

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はがき伝道 348号   三舟

はがき伝道 平成29年10月 348号 真福寺

 

「打ち合わす剣のもとに迷いなく

身を捨ててこそ生きる道あれ」 鉄舟

「晴れてよし、曇りてもよし 富士の山

もとの姿は変わらざりけり」  鉄舟

 

山岡鉄舟居士の百三十回忌が今年です。

江戸城無血開城のために

勝海舟の命をうけて、

駿河まで西郷隆盛のもとに

伝令として馬を走らせて、

勝・西郷の会談を

実現させた人物として有名である。

 

江戸・明治を通して活躍した、三舟がいる。

勝海舟、山岡鉄舟、髙橋泥舟がその三舟である。

明治維新後は、

歴史の表にでない三舟であった。

彼らの功績により、

江戸城は無血開城された。

新しい時代を迎えるために、

国を二分して戦わずに

明治維新という革命を

実現した国は日本だけである。

 

同じ時代に、

フランス革命、米国西南戦争、中国の植民地化と

血の絶えない歴史的変革の時代に、

日本だけが無血政権交代を成したのです。

 

ドラッカーがこのことに触れている。

昭和20年敗戦後に、

名を伏せて来日して

地方の無名の庶民を観察した。

そして、彼は

「必ず日本は立ち上がる国家である」

と言って帰ったそうです。

 

日本の将来に希望をもって

帰国していった人物に

アインシュタインもいます。

 

山岡鉄舟は禅の修業を

三島龍沢寺の星定老師、

京都相国寺の獨園老師、

鎌倉円覚寺の洪川老師、

京都天竜寺の滴水老師に参禅した。

 

剣、禅により心胆を錬磨した人物である。

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はがき伝道 347号   蟹の甲羅

はがき伝道 平成29年9月 347号 真福寺

 

天風語録より

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」 昔の諺

 

出世する人、成功する人は

蟹が自らの甲羅に合わせて巣穴を掘るように、

その心の内容を出世するような形に掘る。

失敗する人は、失敗するような心で生きて、

失敗するような穴を掘る。

その人自身が

生きた姿の穴を掘るということである。

 

めげずたゆまず、

自分自身を信じて自己表現をするために

積極的思考をもち

否定的精神をすてて、

有機的思考を育て、

全体統合する心を養うことである。

おのずと成功の道が開かれていくと信じる

自分の生き筋という穴は、

他人の穴ではない。

一生のすみかの穴を掘り、

安住するのである。

 

「商(あきな)いに常禄(じょうろく)なし

稼(かせ)ぐが一生の努力なり」

という商人の家訓がある。

商人であれ政治家であれなんであれ、

積極的思考で生きることが

人生の運命を決定する。

 

他人のふところに期待して生きるところには

成功の穴はないということである。

 

対立する考えをやめて、

共存することを考えることである。

夫婦共存し助け合う心、

和みの心、

わかり合う心をもつことである。

 

御先祖様に感謝し、

子孫に感謝し、

今ここに生かされている自分に感動する。

そして笑顔になって

生きていくとき

対立することなく、

ともに仏が仏を念ずる心のように

なることができると思う。

 

乾坤祇(けんこんただ)一人、

宇宙無双日

である。

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